ががおのエッセイ

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東京に戻ってきて10名以上のフォロワー様とお会いしました

こんにちはこんばんは。ががおです。

 

9/18に北海道から東京の目白に引っ越してきて3週間強が経ちましたが、その間に新しく11~12名のTwitterのフォロワー様とお会いさせて頂きました。二日に一回は誰かしらとお会いしていました。貴重なお時間をありがとうございます。

 

みなさん、会社員であったり経営者・個人事業主であったり無職期間中であったりアルバイターであったりと社会属性は様々でしたが、僕をフォローして頂いているだけあってそれなりの(といいますか、かなり強めの)共通項を感じ取ることができました。ですがその正体が何であるのかは、未だ上手く言語化できずにいます。単純な欲望という単語には落とし込めない。多くの方々と初対面でお話をさせて頂いたゆえ、情報量が多くまとめられていません。

 

「こんなこと、人に初めて言いました」とそれまで内に秘め続けていた闇を語ってくださる方もいて、それ初めて聴くのが僕であるということを不思議に感じつつも巡り合わせのご縁を感じました。村上春樹が著作『スプートニクの恋人』で恋愛の巡り合わせを各々が宇宙の軌道を周回している人工衛星の巡り合わせに例えている表現が僕は好きなのですが、人間同士の出会い、巡り合わせもまるで人工衛星のようなものだろうなぁと感じます。いっとき重なっては、また離れていく。それでいいよね、と。

 

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最近、小説家・平野啓一郎氏の新書『私とは何か』を読みました。

 

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氏の提唱する「分人主義」という考えが非常に面白く、共感できるものでした。

 

「自分自身」「個人」というのものは最小単位ではなく、もっと細かく分けられるよ、と。会社で上司のご機嫌をとっている自分、仲間内でワイワイ飲んでいる自分、彼女に対してそっけなく接してしまっている自分、SNS上でイキりまくっている自分など、様々なコミュニケーションの場面に応じて個人は自分自身を使い分けている。どれが本当の自分なのか?どれも本当の自分でない、仮初の姿なのか?全てウソなのか?氏によれば、それらは全て本当のその人の姿であると。人格とは他者とのコミュニケーションを通じて形成される一種のパターンであり相対的な要素を強く含むものなので、相手に応じて自分の話し方や態度が変わるのは当たり前。つまり「個人」の中にはさらに多くの最小単位としての「分人」が存在していて、それらを統合する存在としての自分がある。一義的な自分なんていない、「本当の自分」なんてないんだよ、と氏は説いています。

 

救いがある考え方だなぁと。「ギャンブル依存、FX依存の自分、それが自分だよ!」と結論づけられてしまうと、救いがないですからね。人って一義的ではないですよね。ゆえに僕も「この人は好き/あの人は嫌い・この人は味方/あの人は敵」と一義的に線引きをすることが大嫌いです。家族や親友の中にも敵を見出します。

 

Bar『欲望の酒場』も、個人のためではなくて、ある一面的で強烈な「分人」のためのお店にしたいなと思いました。まる。

 

ががお、池袋周辺にいることが多いですが都内各地どこへでも行きますのでもしよければお茶でもしましょう。お気軽にTwitterでDMください。バイトも決まらないので暇してます。

 

(※僕は基本、一匹狼的なスタンスなので群れることはしません。物理的な距離が近いように思う人でも精神的には距離を置きます。)

(※個人情報厳守します。)

 

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1000人目標です。

 

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